1980年に寛仁親王妃として皇族となった信子さま。
実は、麻生太郎元総理と意外な関係にあったんです。その関係とは何でしょうか。
そして信子さまは現在、家族と別居していてふたりの娘との関係に確執があるとされています。
この記事では、その原因と信子さまの現在を探っていきます。
信子さまと麻生太郎の関係とは?
信子さま(寛仁親王妃信子)は、麻生太郎元総理の妹です。
信子さまの出身である麻生家とは、どのような家系なのでしょうか。
麻生セメント会長の3女
信子さまは、麻生セメント会長の麻生太賀吉の3女として生まれました。
信子さまは麻生太郎氏を兄にもっていて、15歳はなれています。
ちなみに信子さまが結婚したのは1980年、そのときには兄の麻生太郎氏は政界入りしています。
信子さまの若い頃と性格
信子さまは、自己顕示欲がつよいと言われています。
生前の寬仁さまが、エリザベス女王の90歳の誕生日を記念するパーティーが開かれたときに語っているからです。
「森喜朗元首相が乾杯の音頭をとることになっていましたが、直前に信子さまがされることになったのです。そのような信子さまの性格に、寬仁さまは不満をお持ちだったようです。
信子さまは、“自己顕示欲が強い”などと報じられたこともありますが、決して否定できることではありません」
言い換えれば、信念のブレない一貫性のある性格と言えます。
信子さまの家系図
信子さまの家系には、大久保利通、吉田茂(祖父)などの歴史で習う有名な人物がいます。
兄弟は5人、麻生太郎、麻生次郎(じろう)、雪子、旦子、麻生泰(ゆたか)の下から2番目の3女になります。
麻生家は、まさに華麗なる一族といえる家柄です。
信子さまの娘との確執・別居報道の現在
2024年11月現在、信子様は皇居の近くに住んでいるとされています。
現在、信子さまは皇居からほど近くにある宮内庁分庁舎内の「旧宮内庁長官公邸」(東京・千代田区)にお住まいだ。
2024年3月3日には目の病気(軽度の白内障など)で、手術を受けて今は退院したと報じられています。
信子さまは1980年に寛仁親王と結婚し、二人の間には長女の彬子さまと次女の瑶子さまがいます。
信子さまの娘との確執
信子さまと娘との間に確執がうまれたのは、夫である寛仁親王の世話を放棄したことが原因とされています。
- 寛仁親王のアルコール依存症
- 寛仁親王による家庭内暴力
長女の彬子さま、次女の瑶子さまは、信子さまが病気の父(寛仁親王)を置いて家を出たことに対して強い不満を抱いているとされています。
「危篤状態の寛仁さまとの面会を希望する信子さまに対し、彬子さまや妹の瑶子さまは頑なに拒まれたといいます。信子さまに対し、『父がいちばん苦しんだときに母は逃げ出した』という強い思いから態度を崩せなかったのかもしれません」
ほかにも信子さまの確執は、娘からの言動にもあらわれています。
瑶子さまのお口からは“母”や“母親”という言葉は聞いたことがありません。信子さまのことは“あの人”と呼ばれているのです。
どうやら信子さまと娘の確執は、姉妹の間にも飛び火しているようです。
確執が姉妹の間にも飛び火
次女の瑶子さまと信子さまの確執は、姉妹の間にも飛び火しています。
それは、瑶子さまが祖母(崇仁親王妃百合子さま)の世話をしていることに対して、彬子さまは京都に住んでいることが多く不満があるとの情報もあるからです。
瑶子さまは、お姉さまに対しても複雑な感情を抱かれているようです。あるとき、『(姉は)家を守らないで、京都に住んでいるからね』
ところで信子さまの娘との確執は、どのように始まったのでしょうか。
信子さまの別居のはじまり
信子さまの別居は、寛仁親王のアルコール依存症(DV)による体調悪化がはじまりと言われています。
04年春に信子さまは更年期障害や胃潰瘍と診断され、同年7月から軽井沢の実姉の別荘で、療養生活を送られました。2年後に寬仁親王邸に戻られた後も入退院を繰り返され、結局’09年秋から旧宮内庁長官公邸で生活されることになったのです。
特に2004年以降、気管支ぜんそくに悩まされ、2009年から家族と別居することになったのです。
現在の生活費用は月10万円
家族と別居する信子さまは、どのように日々の生活を送っているのでしょうか。
なんと生活費用である皇族費は月10万円しか受け取っていないと報じられています。
当時、信子さまは、ご自身に年間1525万円が支給されている皇族費について「月額10万円しか受け取っていない」と訴えており、日常の費用は三笠宮東邸に請求していたという。
皇族であるはずなのに、肩身の狭い生活を強いられているようです。
信子さまと寛仁親王の馴れ初め
信子さまは、16歳の時に寛仁親王から求婚されましたが、当時はまだ高校生で若すぎるという理由から結婚は実現しませんでした。
信子さまと寛仁親王の結婚は、ついに7年後の1980年に実現することになります。
そのあいだ寛仁親王は、ずーっと信子さまに好意を寄せていて、結婚に至るまでを「7年越しの恋」として話題になりました。
まとめ
信子さま(寛仁親王妃信子)は、麻生太郎元総理の妹。
信子さまが別居したのは、寛仁親王のアルコール依存とDVがきっかけ。
寛仁親王と距離をおくようになったのが原因で、ふたりの娘との間に確執がうまれる。
信子さまは、いま10万円の皇族費で暮らしている。
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